脳の概要
これは 人工知能アドベントカレンダー の2日目の記事です。
はじめに
脳は言うまでもなく動物の知性の中枢であり、この器官を持つからこそ、私が書いたこの文章をあなたが読めるわけです。
この 1.5 kg 程度のピンク色の器官は、多数の神経細胞が相互に接続してネットワークを形成しており、それによって様々な能力を発揮しています。
脳の質量は体重の2%もありませんが、血液は心拍出量の15%、酸素は全身消費量の20%、ブドウ糖の消費は全身の25%と相当エネルギーを食っています*1。
ただ、逆に考えると脳の消費電力は20W程度と考えられていますから、ノートパソコンの半分くらい*2の消費電力で済んでいるのでずいぶん省エネルギーではないでしょうか。
本稿では、まずはこの脳という存在がどのようなものなのかについて、ヒトのそれを中心に、その概観を探っていきましょう。
外観
頭皮を切り開き、頭蓋骨を取り除くと、脳は硬膜(dura mater) という厚い膜で覆われています。硬膜を取り除くと今度はくも膜(arachnoid mater)があり、その下には更に軟膜があるという3層構造で脳を保護しています*3。
これらの膜を取り除くと、以下のように脳が見えます。ここでは、前頭葉、頭頂葉、後頭葉、側頭葉からなる大脳新皮質(cerebral neocortex)と、小脳(cerebellum)、脳幹(Brain stem) が見えており、他の組織は大脳新皮質によって覆われているために直接は見えません。
大脳
大脳(cerebrum) *4は、一般的にイメージされる「脳」の部分で、脳の大部分を占めています。実際に外から見えているのは大脳皮質であり、この中に大脳基底核と大脳辺縁系という組織があります。また、大脳皮質は新聞紙1枚くらいの大きさ(2200平方センチくらい)で、厚さ1mmくらいのシートをクシャクシャにまるめて収めたような形になっています(脳の皺は、これだけ大きなシートを頭蓋骨に収めるために必要なものです)。大脳皮質のすぐ下には神経線維が密集した白質が広がっています。
言い換えると、大脳の中心部には大脳基底核と大脳辺縁系があり、それを覆うようにして大脳皮質があります。
大脳基底核と大脳皮質には神経細胞(ニューロン)が豊富に存在しており、大脳基底核と大脳皮質、あるいは大脳皮質同士、大脳基底核同士の神経細胞が相互に情報のやりとりをするためのケーブル(神経線維)が密集しているところが白質です。白質には神経細胞はほとんどありません。
大脳皮質
大脳皮質(cerebral cortex)の役割は、一言で言えば「考える」ことであり、また物を見たり、聞いたり、話したり、想像したりすることはすべて大脳皮質が深く関わっています。
大脳皮質は特に他の動物と比べてヒトにおいて発達している部位であり、それゆえに人は他の動物より高度な知性を有していると考えられています。
前頭葉はおもに計画立案*5、未来の予想、ルールを守る、長期的な得のために目の前の誘惑を我慢する、などの高度な機能を担当しています。
頭頂葉は体性感覚と運動、後頭葉は視覚入力の処理、側頭葉は視覚・聴覚の処理と記憶に関わっていると考えられています*6。このあたりは別の日に個別に見ていきましょう。
大脳基底核
大脳基底核(basal ganglia)は様々な部位から成り立っており、それぞれの部位はもちろんのこと、大脳皮質や小脳や脳幹とも接続されており、非常に幅広い処理を受け持っています。古くは運動の制御に関わっているとされていましたが、現在ではまだ不明な点が多いものの、運動の調整、記憶、学習、感情などに強く関わっているとされています。
大脳辺縁系
大脳辺縁系(limbic system) も大脳基底核同様、大脳皮質に隠れて見えない部分ですが、感情や記憶の制御に関わる重要な部分です。たとえば、海馬はこの大脳辺縁系に属する部位であり、記憶*7に関わっています。ほかにも、扁桃体は恐怖など、側坐核は快楽などの感情に関与しており、これらが海馬に影響することで記憶するべきことを制御していると考えられています。
大脳のこれらの部位はお互い密接に繋がっており、A→B→Cのように段階的、階層的に処理されているわけではなく、お互いに影響を及ぼし合いながら平行して様々な処理をしています。
間脳
間脳(interbrain, DiE)大脳半球と中脳の間にある器官で、
- 視床(thalamus, Th)
- 視床下部(hypothalamus, Hy)
- 脳下垂体(pituitary gland, Pit)
- 松果体(pineal body, Pi)
- 乳頭体(mammillary body, Mmb)*8
から構成されます*9。様々な働きをしており、特に視床は身体からのほとんどの入力を受け取って、脳の他の部位に転送している中継点であることから、ここでなんからの前処理をしていると考えられていますが、詳細な機能についてはよくわかっていません。
そのほか、自律神経やホルモンを調整して身体全体が正常に動くように常に制御している部位でもあります*10。
小脳
小脳(Cerebellum)は脳幹の後ろ(背側)、わかりやすくいえば後頭部に存在する部位で、古くは運動の制御に関わっているとされていました(今はより広い処理に関わっていることがわかっています。これは後日ご紹介します)。
脳幹
脳幹(brain stem)は中脳(midbrain), 橋(きょう, pons), 延髄(medulla oblongata) から構成されています。
脳幹の役割は様々ですが、大脳や小脳と比べると、より生き物としての根源に関わる機能、つまり呼吸や心臓を制御したり、嘔吐・嚥下や消化を制御したり、大脳と小脳の中継をしたりしています。
中脳
中脳(midbrain)は脳幹の一番上にあり、間脳に挟まれるように位置しています。
ここは反射の制御や、視聴覚の中継などを担う生物にとって重要な部分です。
内部には
- 上丘(superior colliculus, SC)
- 下丘(inferior colliculus,IC)
- 黒質(substantia nigra, SN)
- 赤核(red nucleus, RN)
- 大脳脚(cerebral peduncles)
などが含まれます*11。
これらの組織は中脳内ではもちろん、大脳新皮質、大脳基底核、大脳辺縁系、小脳、視床などと複雑につながっており、筋肉の動きを調整したり、瞳孔を収縮させたりといった意識には登らないような処理に深く関わっています。
神経細胞
脳は神経細胞(ニューロン, neuron)の集合であり、全体では約860億個*12*13ほどの神経細胞があると言われています。さらに神経細胞は神経線維によって接続されており、その数は1つのニューロンあたり数千から数万にものぼります。この神経細胞同士の情報のやりとりによって、脳のすべての機能が実現されていると考えられています。
以外にも、あきらかに巨大な大脳皮質にはたった19%のニューロンしか存在せず、体積では10%しかない小脳に80%のニューロンがあります。つまりほとんどのニューロンは小脳にあります。不思議ですね。
なぜ小脳にこんなに多くの神経細胞を割り当てているのかについては、後々触れることにしましょう。
よくある誤解
人間は脳の10%しか使っていない
この元ネタは、グリア細胞のようです。グリア細胞は神経細胞ではない神経系に存在する細胞で、情報処理以外の様々なサポート的役割を果たしています(たとえば、神経伝達物質を取り込む、栄養の供給など)。
グリア細胞は発見当初はよく機能がわかっていなかったのに加え、神経細胞の10倍ほど存在すると予想されていたのでこの10%説が生まれたのだと思います。今ではその機能が明らかになりつつあるのと同時に、そもそもグリア細胞自体神経細胞の10倍もなく、実際は1:1くらいの割合だということがわかっています*14*15。
まあ確かにある処理をしているときに活動していない脳の部位は存在しますが、あるときに活動していないこと自体に意味を持つこともあるのです*16。信号機はある瞬間を見ると3つあるランプのうちの1つしか点いていませんが、これをもって「信号機がうまく動いていない」とは思いませんよね。常に3つのランプが全て光っている信号機はなんの意味もなさないのと同様、すべての神経細胞がフル稼働してもそこに意味はないのです*17。
右脳は感覚、左脳は理論を司っている
これは部分的にはあっているのが厄介ですが、基本的には嘘です。
今後の説明で触れていきますが、大脳は左右に分かれているものの様々な処理を分担しているので、右脳はこう、左脳はこうだと一概には言えません。
五感の入力は左右に分かれて入ってきますが、そのあとは次第に混ざり合うように合成されていき、脳の様々な場所に伝搬していくので、左右の脳が異なる処理をしているのは間違いありませんが、だからといって右脳と左脳で明確に目的が異なるわけではありません。
おわりに
今回は脳の概要について広く浅く触れました。次回以降は今回紹介した各部位がどのような役割を果たしているのか、その詳細について見ていきます。
*1:生き物は摂取できる食べ物の量と食事にかける時間に限界があるため、一定以上は脳を大きくできないと考えられる。ところが人間は物を調理することで消化しやすくするということを発明したため、結果的に多くの栄養が摂取できるようになり、脳をさらに大きくすることができた、と考えられている
*2:Macbook Air が 30〜40Wくらい
*3:頭蓋骨と硬膜の間で出血があると硬膜外出血、硬膜とくも膜の間だと硬膜下出血、くも膜と軟膜の間だとくも膜下出血と呼びます
*4:終脳(telencephalon)とも
*5:前頭葉が傷つくことで、料理ができなくなることもある。料理は平行して様々な動作を順番通り進める必要があるので、非常に高度な処理が必要となる
*6:視覚はまず後頭葉で簡単に処理され、その後側頭葉と頭頂葉に二手に分かれるようにして処理が進む。側頭葉は見たものが「何か」、頭頂葉は見たものが「どう動いているか、どんな場所にあるか」を処理していると考えられている
*7:一口に記憶と言っても様々な種類があり、海馬は特にエピソード記憶に関与している
*8:乳頭体は大脳辺縁系の一部として扱うときと、中脳の一部として扱うときもあるが、ここでは間脳の構成要素としている
*10:デカルトは松果体が脳の中心にあることから、ここが精神の中枢であると予想していました
*11:ただし、黒質は大脳基底核の一部とされることのほうが多い
*12:Azevedo FA, Carvalho LR, Grinberg LT, Farfel JM, Ferretti RE, Leite RE, Jacob Filho W, Lent R, Herculano-Houzel S. Equal numbers of neuronal and nonneuronal cells make the human brain an isometrically scaled-up primate brain.(2009) J Comp Neurol. 10;513(5):532-41
*13:昔は1000億個ほどと言われていたが、最近は800〜900億個くらいだと見積もられているようだ
*14:部位によって割合が異なるが、むしろ神経細胞のほうが多い部分のほうが多い
*15:Azevedo FA, Carvalho LR, Grinberg LT, Farfel JM, Ferretti RE, Leite RE, Jacob Filho W, Lent R, Herculano-Houzel S. Equal numbers of neuronal and nonneuronal cells make the human brain an isometrically scaled-up primate brain.(2009) J Comp Neurol. 10;513(5):532-41
*16:この「少数の神経細胞だけが活動する」という点は省エネルギーというだけでなく、情報処理にとって非常に重要な役割を果たしている。これは今ではスパースコーディングと呼ばれているが、この理論については後日詳しく解説する
*17:同じ処理をするのに、よりたくさんの神経細胞を活動させないといけないような個体がいた場合、エネルギーを無駄に喰うため淘汰されると考えられる(簡単に言えば餓死しやすい)。そのため進化の過程ではより少ないエネルギーでより複雑な処理ができるような神経系を持つ個体が生き残ってきたとも考えられる