Sideswipe

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なぜドレスの色の錯覚はおきたか?-色の恒常性-

ドレスの写真って?

インターネットで見る人によって二通りの色に見えるドレスの画像が話題になっていました。結論からいえばこのドレスは青と黒なのですが、「青と黒に見える」派と「白と金に見える」派に分かれるのです。あなたはどちらに見えますか?

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引用元: http://swiked.tumblr.com/image/139988249090

「ディスプレイが違うから」といった説明も見受けられますが、同じディスプレイを見て意見が割れている方もいることから、影響はあるにしても主要因ではなさそうです。

また、「年をとると網膜の細胞が衰えて云々」という意見もありますが、老若男女はあまり関係なく青黒派と白金派がいるので、こちらの影響も少なさそうです*1

それではこの理由について解説してみます。間違えてたら教えてください。

30秒で分かる説明

人間は周囲の状況が変わっても同じものは同じ色で見えるように脳内で補正を掛けています(色の恒常性)。
しかし写真やイラストでは環境光がよくわからないことがあり、脳が間違って補正をかけてしまうことがあります。
この色の恒常性による錯視が原因です。

脳の不思議と人工知能についての本を書きました。こちらもどうぞ。

コンピューターで「脳」がつくれるか

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色の恒常性

この理由については人が色を知覚するときのメカニズムが関係しています。
人はものを見るときにその物体の色(≒光の波長)をそのまま解釈しているわけではありません。

たとえば、晴れた日の屋外と、夕焼けのときでは、後者の状況では物体は全体的に赤っぽく見えているはずですが、普通はそれを意識せずに赤いものは赤く、青いものは青く、緑色のものは緑色に見えます。この環境光が変わっても色の見え方があまり変わらないことを色の恒常性といいます。

以下のWikipediaColor constancy の記事にあった図を見てみてください。太陽の光が当たっているところとそうでないところで色の見え方は大きく違うのにもかかわらず、どちらも「奥は影になっているだけで、たぶん同じ色だろう」と思うことが出来ます。

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右上の赤い部分は本来は暗い紫色っぽい色(RGBで言うと #530f22 あたりの色)になっているはずですが、ヒトは周囲の色を手がかりにして「これは鮮やかな赤色だろう」と推測するわけです。


逆に前提知識が使えず、色を推理することができない場合はどのように見えるでしょうか?同じくWikipediaからの以下の図を御覧ください。

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上の図と下の図では持っている何枚かの紙は上下でかなり異なった色に見えるはずです。紙の色については色を推定するだけの手がかり・前提知識を持っていないため、あまり補正が効かずに画像そのままの色の影響が強く残るのです。

次の画像も見てみてください*2。左右の目の色は同じ色(灰色)のはずなのですが、周りの色によって水色、黄色、赤茶にそれぞれ見えませんか?

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色というのは物理的な色の波長をそのまま受け取っているのではなく、周囲の環境によって大きく影響を受けていることがわかります。

なぜ二通りの色に見えるのか?

今回のドレスの場合は、ドレスの色そのものより環境光が重要であると考えられます。脳内でドレスや背景の色から環境光を推測し、ホワイトバランスを調整するときに人によって調整度合いが異なり、結果違う色と解釈してしまうわけです。白飛びしていたりして写真から「どのような環境で撮影されたのか?」という前提知識が得られにくいためどういった仮定のもとで色を推定しているかによって個人差がでると考えられます。
写真右上を見ると太陽光(白色光)っぽいのですが、右下を見ると暖色系の照明で照らされているようにも見えます。しかもどちらも白飛びしているので2つの照明のどちらが強いのかはよくわからなくなっています。

まとめるとおそらくこういうことです。

  • 「後ろから強い光が射していてドレスとカメラはその影に入っている」と認識した人は、より明るく補正してドレスを見るので白と金に見えます。
  • 「部屋全体が明るくてドレスとカメラも明るい場所にある」と認識した人は、より暗く補正してドレスを見るので青と黒に見えます。
  • 加えて、環境光がオレンジに近いと判断するか、青っぽいと判断するかも大きな影響を与えている(前述の手に持った色紙の写真を思い出してください)。

つまり、色を推測するためにはまずどのような環境光が降り注いでいるのかを推定する必要がありますが、この写真は手がかりが少ないため人によって解釈が異なると思われます(不良設定問題)。

わかりやすくオリジナルの写真(左)とホワイトバランスを調整した写真を作ったので見てみてください。

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これは錯視のようなもので、一度片方(青黒または白金)を認識すると、もう片方に認識しにくくなってしまいます。人によってはどちらかの色を行ったり来たりするように感じるかもしれません。色ではありませんが、わかりやすい例が
ネッカーの立方体 - Wikipedia
です。

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立方体の輪郭が描かれていますが、これは人によって立方体を上から見下ろすように見ているか、下から見上げるように見ているか、解釈がわかれます。この場合はどちらが正解というわけではありませんが、やはり最初認識したほうに固定されてしまい、もう片方の見方をするのにはすこし努力が必要です。

色の恒常性を使った錯視

色の恒常性を使った錯視はいくつかありますが、有名なものだと以下のチェッカー模様の図などがあります。

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AとBのマスは実は同じ色なのですが、円柱の影が描いてあるため脳が「影になっている部分は暗くなるはずだ。だからBはAより暗い。」と判断して補正します。つまり、Bは影の影響で暗くなっているんだから本来はもっと明るいはず!と脳が認識するわけです。その結果同じ色なのに違った色に見えてしまうのです(Bのほうが明るく見える)。この場合は光がどの方向から射していて影がどのようにできているかが図からはっきりとわかるので、誰が見てもほとんど同じように見え、ドレスのような錯誤は起きません。

他にも、Munker錯視やMcCollough錯視など色に関係する錯視はいくつか知られており、このことは色情報は脳内で強い修飾を受けたあとに認識されていると考えられます。

このように、色が異なって見える主要因は錯視によるものです。錐体細胞(目にある色を感じる細胞。赤と緑と青に反応する細胞がそれぞれある)の割合や、眼の色、人種などにはほとんど影響されないと思われます。実際、サルでの実験では色の恒常性は後天的に獲得されるものであり、生まれてから様々なものを様々な環境光の元で見ることによって得られることがわかっています*3 。「ネッカーの立方体」のように、見る人が同じでも青・黒に見えたり、白・金に見えたり解釈が行ったり来たりすることもあります。

色の恒常性はどう実現されているか

このような色の恒常性には脳の複雑な機構が非常に高度な推論をしているかのような印象を受けますが、サル*4はもちろん、蝶のような昆虫のような動物でも色の恒常性を持っていることがわかっていることから*5、比較的低次の(単純な)仕組みで実現されていると考えられています。
いくつか理論も提案されていますが、色の恒常性がどのようなメカニズムで実現できているかについてはまだはっきりとわかっていません。

ただ、ヒトやマカクザルの脳では視覚野にあるV4という領域が色に関係する複雑な処理をしていることがわかっており(V4だけが色の処理をしているわけではない)、V1からV4に至る腹側皮質視覚路が色の恒常性に関わっているのはほぼ間違いないと考えられています。

このことから、「こう見えると右脳派でこう見えると左脳派だ」というのはインチキであることがわかります。なぜならV1やV4は脳の左右両方の半球にあり、どちらからの目の情報も受け取って平行して処理をしているからです。

特にV4にある細胞は対象としているもの(今回はドレス)の周囲の色を参考に見ているものの色を決めている(Zeki 1983 など)ようで、たとえばKatzによる実験では紙に小さい穴をあけて対象を見ると色の恒常性があまり働かなくなることがわかっています。

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参考にドレスの一部を拡大した画像を用意しました。どうでしょうか。


ところで、また最初の画像を見てください。もしかしたら今度は最初と逆の色に見えるかもしれませんよ。

錯覚の科学 (文春文庫)

錯覚の科学 (文春文庫)

*1:ただし心的状態が知覚に影響を与えることはあります。たとえば、うつ傾向のある患者はコントラストを低めに感じている可能性が示唆されています。 Bubl E, Kern E, Ebert D, Bach M, Tebartz van Elst L (2010) Seeing gray when feeling blue? Depression can be measured in the eye of the diseased. Biol. Psychiatry 68: 205–208. doi: 10.1016/j.biopsych.2010.02.009

*2:色の恒常性

*3:産総研:乳幼児期の視覚体験がその後の色彩感覚に決定的な影響を与える

*4:Yoichi Sugita, Experience in Early Infancy Is Indispensable for Color Perception. Current Biology, 14(14), 1267–1271.

*5:アゲハが見ている色の世界 https://www.jstage.jst.go.jp/article/hikakuseiriseika/23/4/23_4_212/_pdf