Sideswipe

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言語

これは 人工知能アドベントカレンダー の8日目の記事です。

大脳のうち、言語(話す、聞く、読む、書く)に関わりの強いところを言語野、言語中枢(language center)とよびます。特にブローカ野とウェルニッケ野が有名ですが、ヒトで特に発達した言語機能についてここでは見ていきましょう。

言語野の局在性

言語野はふつう左半球(左脳)にあります*1

つまり、言語野がないほう(普通は右半球)に障害を負っても、言語能力への影響は少ないといわれています。なぜ左右で分担せずに左半球にのみ偏って言語野があるのかはよくわかっていませんが、両方の半球が拮抗しないように片側を抑制しているという説があります。
右半球がなにもしていないかというとそういうわけでもなく、発話や読み書きに直接関わらない他の機能*2や、左半球の機能が低下したときにサポートするといった機能もあるようです*3

主要な言語野

大雑把に説明すると、ブローカ野は「話す」、ウェルニッケ野は「聞く」を担当していると考えられています。また、ブローカ野とウェルニッケ野は弓状束と呼ばれる神経の束で相互に連絡をとっています。

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ブローカ野

ブローカ野(Brocs'a area)は前頭葉、ブロードマンの脳地図でいうと44野・45野のあたりにあるといわれています(ただし、それぞれの領野はさらに細かく分けることができるようである) *4

脳外科医のブローカの患者に、「タン、タン*5」としか発音できないがそれ以外の知能は普通という変わった症状を持った M. Leborgne*6 という人がおり、彼の死後に解剖すると、左半球の下前頭回を損傷していたことから、ここが話すのに必要な言語中枢(運動性言語中枢)だと予想しました*7。今日では、このような症状を運動性失語、またはブローカ失語と呼び、以下のような特徴が見られます*8

  • まったく話せない、あるいはたどたどしい話し方しかできなかったり、一言二言の短い文しか話せない
  • 相手の話を聞き、理解することは問題なくできる*9
  • 復唱(相手が言ったことをそのまま真似して返す)は障害されない
  • 話すだけでなく、文字を書くことによって意思を表明する能力も障害されることが多い


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Leborgne, 通称「タン」氏の脳。左が前。ブローカ野周辺が黒く萎縮してしまっていることがわかる(脳梗塞が原因) (Public Domain)

ウェルニッケ野

ウェルニッケ野(Wernicke's area)は視覚野・聴覚野・体勢感覚野と接するような位置にあります。カール・ウェルニッケ(Carl Wernicke) によって報告されたのでこの名前がつきました。
ブロードマンの脳地図で表すと、おおよそ22野にあたります。

脳外科医であったウェルニッケの患者に、なめらかに話すことができるのに、言い間違いが多かったり、言語を聞いて理解する能力に障害があるという症例(ウェルニッケ失語*10、感覚性失語があったことから22野周辺が言語理解に関わっていると考えたのです。

具体的には以下のような症状が出ることが多いようです。

  • 非常に流暢に話す一方で、言い間違いが多かったり支離滅裂だったりして、相手には言いたいことがほとんど伝わらない
  • 話を聞いても相手が何を言っているのかよくわからない
  • 復唱(相手が言ったことをそのまま真似して返す)は不可能
  • 読み書きの障害があることもある
角回

角回(angular gyrus, 39野とほぼ同じ)はウェルニッケ野と一部重なる位置にあります*11

角回の機能はよくわかっていませんが、言語に関する様々な機能を実現するために重要な働きをしていると考えられています。たとえば、音楽家が楽譜を読んでいるときに左角回の活動が活発になっている*12とか、左角回が読み書き能力に関わっている*13とか、暗喩の理解に関わっている*14*15などです。

次に説明する縁上回や角回を損傷すると、ゲルストマン症候群(Gerstmann syndrome)になると考えられています。ゲルストマン症候群の主な症状は、文字が書けない(失書)、暗算ができない(失算)、左右がわからない(左右失認)、などです。

縁上回

縁上回(supramarginal gyrus, 44野とほぼ同じ)もウェルニッケ野の一部共通している部分があり、また角回とは隣接しています*16

縁上回も角回同様、具体的に何をどのように処理してどんな機能を果たしているのかはよくわかっていません。

ただ、視覚野と体性感覚野の間にあるだけあって、両者の情報を取りまとめるようなことをしているようです。たとえば、左右の認識や、他人の姿勢や動作の認識(ミラーニューロン)との関わりが指摘されています*17

ほかには時間の長さやタイミングを測るときは右縁上回が活発に活動していることから、時間の経過の把握に必要だという研究*18があります。

言語処理

昔はウェルニッケ野とブローカ野が弓状束を介して相互に情報をやりとりすることで様々な言語処理をしていると考えられていましたが、今ではより複雑なモデルが考えられています。

上記に述べた部位が言語中枢ではありますが、その他の領域、たとえば大脳基底核や小脳も言語処理には重要であるという研究もあり、かなり大規模なネットワークが形成されていると思われます。

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より現代的な言語機能のモデル。さらに扁桃体大脳基底核なども言語機能に関わっていると考えられている*19

これらの知見を統合すると、たとえば聴覚野のようにある特定の部位がその処理に関わっているのではなく、身体感覚や運動機能、記憶や感情など脳のほとんどの部位が大なり小なり相互連絡をして言語機能を成立させているといえます。ヒトの言語機能が他の動物とくらべても突出して優れていることは、この脳の大規模ネットワークがあるからこそ実現できているのです。

まとめ

話したり聞いたり、あるいは書いたり読んだりするためには、視覚や聴覚情報という入力の点でも高次の情報抽出が必要で、出力の点でも声帯や舌、指などを非常に複雑に動かさなければ成り立ちません。また、当然「なにをどう表現するか?」という心的な要素も加わります。これには感情、将来の展望、過去の記憶、話し相手が何を考えているかなども考慮する必要があり、既に触れてきたように脳の殆どの部分がなんらかの形で言語機能に関与しています。

音声認識や画像認識をしたり、歩いたりするロボットはあっても、言語を用いてわれわれ人と円滑にコミュニケーションをとれるロボットはまだありません*20。「どう話すのが言語として自然か?(言語モデル)」の研究は結構進んでいるのですが、動物の場合はむしろそれより「何を表現したいか」という内心的な動機がまずあるはずです。このあたりがうまくわかっていない、理論がないあたり、言語機能をロボットに持たせるのはまだまだ時間がかかることでしょう。

*1:98%の人は左半球にあると言われている。人によっては右半球に言語野があることもある。また、右利きの人は左半球に、左利きの人は右半球に言語野があるといわれているが、実際は例外も多い

*2:ユーモアの理解、比喩の理解、自分がどこにいるのか、他人がどんなことをしているかといった認識など

*3:Saur D, Lange R, Baumgaertner A, et Al. Dynamics of language reorganization after stroke. Brain. 2006

*4:Katrin Amunts, Marianne Lenzen, Angela D Friederici, Axel Schleicher, Patricia Morosan, Nicola Palomero-Gallagher, Karl Zilles Broca's region: novel organizational principles and multiple receptor mapping. PLoS Biol.: 2010, 8(9);

*5:原文では "Tan"

*6:M.ルボルニュと発音するようだ。彼は病院では「タンさん」と呼ばれていたとある

*7:Broca, Paul. Remarks on the Seat of the Faculty of Articulated Language, Following an Observation of Aphemia (Loss of Speech). Bulletin de la Société Anatomique, Vol. 6, (1861), 330–357.

*8:ブローカ野は広いので、どこがどれくらい損傷を受けたかによって大きく異なる。また、後述のウェルニッケ失語と共通する点として、患者は脳梗塞などによって他の部位にも障害を持っていることが多く、言語野が侵されているからできないのか、単に身体の麻痺などによってうまくできないだけなのか判断が難しいこともある

*9:軽度の理解障害を併発することもある。特に「AしてからBし、次にCをする」ような段階を踏む命令が理解できないことがある

*10:ウェルニッケ脳症(Wernicke's encephalopathy)とは関係ない

*11:以前述べたように、"回(gyrus)"は大脳の皺のでっぱり部分(表面に盛り上がっている部分)を指す。角回はシルヴィウス溝(外側溝)が走る根本のあたりにある回を指す

*12:Mitsuru Kawamura, Akira Midorikawa, Machiko Kezuka, (2000) “Cerebral localization of the center for reading and writing music, NeuroReport” , Vol.11, No.14 , pp. 3299-3303

*13:"Spatial neglect, Balint-Homes' and Gerstmann's syndrome, and other spatial disorders". CNS Spectr 12 (7): 527–36.

*14:Ramachandran, V.S.; Hubbard, E.M (2003). "The Phenomenology of Synaesthesia" (PDF). Journal of Consciousness Studies 10 (8): 49–57.

*15:Sathian, K (2011). "Metaphorically feeling:Comprehending textual metaphros actives somatosensory cortex" . Brain and Language 120 : 416–421. doi : 10.1016/j.bandl.2011.12.016 .

*16:角回と縁上回をあわせて、下頭頂小葉(inferior parietal lobule)とよび、外側溝の端を囲むような場所にある

*17:Carlson, N. R. (2012). Physiology of Behavior 11th Edition. Pearson. pp. 83; 268; 273-275

*18:Hayashi, M. J., Ditye, T., Harada, T., Hashiguchi, M., Sadato, N., Carlson, S., Walsh, V., and Kanai, R. (2015). Time Adaptation Shows Duration Selectivity in the Human Parietal Cortex.: PLoS biology.

*19:Hitoshi T Uchiyama, Daisuke N Saito, Hiroki C Tanabe, Tokiko Harada, Ayumi Seki, Kousaku Ohno, Tatsuya Koeda, Norihiro Sadato Distinction between the literal and intended meanings of sentences: a functional magnetic resonance imaging study of metaphor and sarcasm. Cortex: 2012, 48(5);563-83

*20:現在、話しているように見えるロボットは、「音声認識結果に"天気"という単語が含まれていたら、『今日の天気は◯◯です』と答えよ」というようなルールの羅列によって達成されているが、明らかに動物の言語モデルとは大きく異なることがお分かりかと思う