Sideswipe

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運動野のモデル

これは 人工知能アドベントカレンダー の20日目の記事です。

今までは主に感覚器、つまり入力を扱いましたが、今回は出力について扱います。
今もさまざまな生物を模したロボットがあり、人型ロボットも今では珍しくなくなりましたが、どうしても動きを見ていると「ロボットっぽい」と感じてしまいます。これはアクチュエータの問題もありますが、ソフトウェア側の問題もあります。生物とは異なる制御方法をしているので、必然的に生き物のような動きにはならないわけです。

一次運動野のモデル

コラム構造

そもそも、一次運動野のコラムがそれぞれどんなことを担当しているのかについては統一見解がないのですが、他の領野同様に各コラムはある特異的な出力のときにだけ反応することはわかっています。

たとえば、

  • 筋肉をどれくらい伸縮させるかと関節をどれくらいの角度にするかは別々のニューロンが担当している*1
  • ニューロンは一対一でどこかの筋肉を制御しているわけではなく、あるニューロンは特定の複数の筋肉を制御している*2
  • ニューロンの活動の活発さは実際に発揮される力の大きさに比例する*3*4

などはわかっています。特に一次運動野の働きを解明することは、BCI(Brain Computer Interface)開発に非常に重要なため、運動野の活動がどのように運動に反映されるのかは活発に研究されています。

運動制御のモデル

机の上のコップを手に取るような運動を考えます*5。目標(コップ)に手を到達させるためには、目標の座標は(ほぼ)唯一の正解があります*6。しかし、そこまでにどのような軌跡で手を動かせば良いのかは無数の答えがあります。どの筋肉を、どのタイミングで、どれくらいの力で収縮させるかはいくらでもパターンが考えられますが、人は誰でもほとんど同じような軌道で手を動かします。大雑把に言えば、「なめらかに」動きます。そのため、運動制御においてはなんらかの基準があってその基準に従って軌道を決めていると考えられます*7

昔からこの基準(評価方法)には様々なものが提案されていましたが、ここでは特に有名なモデルを紹介します。

躍度最小モデル

躍度はあまり一般的でない言葉ですが、手の位置を時間で3回微分したものです。躍度最小モデル*8は、躍度の2乗を運動の開始から終了まで積分した量が最小になるような軌道を適切とします。この意味は一見よくわかりませんが、「加速度の変化率が小さくなるような軌道」が良い軌道ということで、力の入れ具合の変化があまりないように動かすということになります。このモデルは非常に簡単でシミュレーションも容易ですが、到達運動のかなりの部分を説明することができます。

分散最小モデル

Wolpertの分散最小モデル*9は、躍度最小モデルとはまた違った評価基準で到達運動の軌道を説明します。

人の筋肉も神経も、必ずノイズの影響を受けます。筋肉を動かそうと思っても、誤差が全く無い思った通りの動きをできるわけではなく、少なからず変動があります。神経もたとえば今関節がどれくらい曲がっているかの情報は正確な値が得られるわけではなく、やはりノイズの影響を受けます。このノイズは、概ね大きく、力強く手を動かすとそれに比例して増加すると考えられます。

そこで、このノイズを最小にし、手が到達したときの誤差が最も小さくなるように手を動かすというのが分散最小モデルです。言い換えれば、「ノイズだらけの環境で、なるべくノイズの影響を受けないような動かし方」が良い、という基準です。

躍度最小モデルと違って、最終到達地点の正確さを基準にする点でずいぶん異なるモデルですが、Wolpertの実験ではこの誤差を減らすように運動を続ければ、最終的には非常になめらかかつ自然な動きが得られることが実験的にわかっています*10。分散最小モデルでは、生体に必ず存在する避けては通れないノイズを、むしろ積極的に利用している点で新しい考えです。今では、この分散最小モデルを改良したモデルがいくつか提案されています。

まとめ

運動には小脳の関わりが不可欠のため、これは後日の小脳の項目で改めて触れることにします。
運動野は生理学的知見とモデルの結びつけが不十分な点もあるものの、特に到達運動に関しては様々な研究があり非常に自然な軌道を得ることに成功しています。

今後は運動野と他の領野との関係や、一次運動野のコラム構造がどのように構成されているのか、また躍度最小モデルにしろ、分散最小モデルにしろ、脳のどの領域がどのように連携してこのフィードバック制御を実現しているのかといった点が重要になってくると思います。

*1:Kakei S, Hoffman DS, Strick PL. Muscle and movement representations in the primary motor cortex. Science 285: 2136–2139, 1999.

*2:P D Cheney, E E Fetz, S S Palmer Patterns of facilitation and suppression of antagonist forelimb muscles from motor cortex sites in the awake monkey. J. Neurophysiol.: 1985, 53(3);805-20

*3:E V Evarts. Relation of pyramidal tract activity to force exerted during voluntary movement. J. Neurophysiol.: 1968, 31(1);14-27

*4: P D Cheney, E E Fetz. Functional classes of primate corticomotoneuronal cells and their relation to active force. J. Neurophysiol.: 1980, 44(4);773-91

*5:目で見た情報からどこに手を伸ばせば良いのかを計算する必要がある(逆モデル)が、視覚情報は二次元で実際の世界は三次元のため、これは厳密に解を得ることはできない。これを不良設定(ill-posed)問題 とよぶ

*6:ただし、コップを正しく手に取るためには、適切に手首をひねる必要があり、ほとんど無意識に行う運動ではあるがこのような手首のひねりが適切にできないような障害があり、比較的複雑な処理をしていると考えられている

*7:手を動かしているときに外力が加わると、もともとの軌道に戻ってからまた手を伸ばすような動きが見られることも、「理想の軌道」があってそれに沿って動いているということを支持する

*8:Flash, T., Hogan, N. 1985. The coordination of arm movements: an experimentally confirmed mathematical model. J. Neurosci., 5, 1688-1703.

*9:Harris C.M. and Wolpert, D.M. Signal-dependent noise determines motor planning. Nature, 394, 780-784, 1998.

*10:ただし、このモデルは「ノイズの分散が運動指令の2乗に比例している」ことを仮定しているものの、生理学的妥当性は充分でない