Sideswipe

情報工学、計算論的神経科学など、真面目なこと書くブログ。お仕事の話は Twitter: @kazoo04 にお願いします。

聴覚野のモデル

これは 人工知能アドベントカレンダー の19日目の記事です。

視覚野に続いて、聴覚野のモデルについて考えてみましょう。
ただ、視覚野と比べると聴覚野は不明な点が多く、一次聴覚野(A1)はまだしもA2以降の連合野のことはあまりわかっていません。それでも一次視覚野で得られた知見も参考にしつつモデル化を行う研究があります。

聴覚野のおさらい

アドベントカレンダーでは7日目で扱いました。必要に応じて併せてご覧ください。

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トノトピー

一次視覚野にははっきりとしたレチノトピーマップが観察されます。一次聴覚野もトノトピー*1といって、音の波長(周波数)に応じて相対的な位置関係が対応しており、大雑把に言うと低周波数(だいたい100Hz)に反応するニューロンは一次聴覚野の背側、高周波数(だいたい20kHz=20,000Hz)に反応するニューロンは内側のほうにあり、皮質上をグラデーションのように担当する周波数が異なるニューロンが配置されている、と考えられてきました。

ところが、少なくともマウスの聴覚野を詳細に調べてみると、視覚野ほどは整然と並んでいない、むしろランダムといっていいような配置になっていることがわかりました*2*3

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マウスの聴覚野のコラムがどの音によく反応するかを2-photon calcium imaging(2光子カルシウムイメージング)によって調査した図。以前から考えられていたような理路整然とした配列は見られないように思える (Bandyopadhyay et al. 2010)より

ここではいくつかの仮説が考えられます。

  • 音の分析に位相マップ(ここではトノトピー)は何らかの理由(おそらく音の物理的な特性)で必要が無い
  • 内側膝状体(medial geniculate nucleus, MGN)や下丘(inferior colliculus,IC)などの一次聴覚野より下位の領域ではトノトピーが重要だが、一次聴覚野ではより高度な情報処理を行っているので、マップが崩れているように見える
  • 一次聴覚野もある特定のルールに従って位相を保持しており、実は整然と並んでいるが、パッと見の印象ではそれが見られない

聴覚野のシミュレーション

ここでは、Terashimaらの研究を紹介します。基本的な考え方自体は簡単で、「一次聴覚野も一次聴覚野も、入力が違うだけでそれぞれの領野では同じ理論に従って動いている」とします。動作原理は同じでも、視覚情報が入ってくるのか、聴覚情報が入ってくるのかで情報の性質は違いますから、それに適応しようとすることで結果的に違った構造が生まれると考えるわけです。

たとえば、視覚情報は、「近くにあるものは似た色・テクスチャをしている」という特徴があります。写真を見たときに、ある部分から1mmだけ離れているところを見たら、多分大体同じ色なことが多く、ガラッと変わるということは少ないでしょう。

逆に、聴覚情報(音)はある周波数にピークがあっても、そこから僅かに違う周波数にもピークがあるとは限らず、むしろ(倍音など)離れた周波数との相関関係があります *4

このような特性の違いが視覚野と聴覚野の違いを生み出すと考えて、TICAを使ってマップを作ると、以下の様な出力が得られます*5

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TICAによって得られた視覚野のマップ。前回同様、近いコラム(マス目)は似たような刺激に反応する

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TICAによって得られた聴覚野のマップ。局所的に似たコラムが集まっているところもあるが、ほとんどランダムに見えるところもあり、あまり一定の法則があるようには見えない

ご覧のように、同一のアルゴリズムにも関わらず、視覚野ではレチノトピーが得られ、聴覚野ではランダムに近い出力が得られました。

連合野のモデル

二次聴覚野以降はわかっていないことが多く、少なくともヒトの二次聴覚野ではリズムやメロディの認識に関わっていることはわかっていますが、他にも音源の位置を処理している部分や、純音にはほとんど反応しないが複数の音が組み合わさっている特定の音に反応する部分、一次聴覚野の入力を組み合わせてより複雑な特徴抽出をする部分などは観察されているものの、どの部分がどのような仕組みで何を処理しているのかについては、視覚野ほどはわかっていません。

まとめ

聴覚野は視覚野ほどわかっておらず歯切れの悪い記事になりましたが、今回紹介したTICAを用いたモデルでは、「視覚野と聴覚野は同じ仕組みで情報処理をしているのではないか?」という魅力的な仮説を紹介しました。視覚野が行っているような階層的な処理を聴覚野にも当てはめることで、より妥当なモデルが得られるかもしれません。

また、まったく関係のなさそうな部分が同一のアルゴリズムで動作しているという仮説を支持する証拠が増えれば、「ある部分だけ解明すれば、残りの部分も芋づる式に解明できる」ことになりますから、AGI研究としては非常に魅力的に思えます*6

次回からは感覚野ではなく、運動野にスポットをあてて、動物がいかにして滑らかで無駄のない動きを実現しているかについて見ていきましょう。

*1:単に周波数マップともいう。こちらのほうがわかりやすいかもしれない

*2:Bandyopadhyay et al. Dichotomy of functional organization in the mouse auditory cortex. Nature Neuroscience, 2010; DOI: 10.1038/nn.2490

*3:ただし、どれくらい乱雑なのか、人間ではどうなのかといったところはよくわかっていないことも多く、トノトピーの存在を支持するような研究もあり、より詳細な測定が必要だと思われる

*4:Terashima, H. and Hosoya, H.: Sparse codes of harmonic natural sounds and their modulatory interactions, Network: Computation in Neural Systems, Vol. 20, No. 4, pp. 253–267, 2009

*5:寺島裕貴, 岡田真人, 視覚野・聴覚野地図の同一適応アルゴリズムによる解釈 から引用

*6:もっとも、一次視覚野ひとつとっても非常に複雑な処理をしていることがわかっているし、脳は大脳皮質だけでなく様々な部位から構成されているのだから、「これだけがわかれば完璧」な統一的理論があるとは到底思えない