Sideswipe

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高次脳機能障害と分離脳

これは 人工知能アドベントカレンダー の10日目の記事です。

今回は少し心理学よりの話を中心にします。

はじめに

謎の仕組みで動いている非常に複雑な機械があったとき、まったく解析の手がかりがなくても、ある部品を取り去ると特定の機能だけ働かなくなることを発見したとします。すると、システム全体の仕組みや、その部品がどのような仕組みで動いているのかは依然としてわからないままですが、その部品が特定の機能を持っていることや、機械全体がある種のモジュール構造をもっている、ということはわかります。

脳も同じで、各部位がどのようなメカニズムによって動作しているのか、またその各部位が協調してどのように脳全体を成り立たせているのかについては、不明な点が多くあります。一方で、脳のある特定の部位が損なわれると、その場所に応じて特定の障害が現れることがわかり、脳機能局在論(theory of localization of brain function)が支持されることになります。

たとえば、すでに紹介したブローカやウェルニッケによる言語野の発見が代表例です*1*2

その後も、(主に戦争によって)脳のごく一部のみに損傷を受ける患者が非常に増えたことや、脳腫瘍や脳梗塞が起きても一命を取り留める患者の増加で、各部位の働きがわかるようになってきました。

さらにfMRIなどの測定技術の向上も手伝って、あることをしているときに脳のどの部分が活発になるかといったことがリアルタイムでわかるようになりました。本稿では、このような過去の事例によって得られた事例をいくつか紹介します。

高次脳機能障害

高次脳機能障害は、主に大脳の損傷によって、様々な精神機能の低下あるいは喪失が生じた状態です。高次脳機能障害は非常に複雑で言葉では言い表しにくい症状もあるのですが、たとえば以下のような障害が生じます。

  • 失語: 話したり聞いたりすることができない*3
  • 失行: 身体をうまく動かすことができないか、まったく動かすことができない
  • 失認: 特定の感覚のみ感じられない
  • 注意障害: 物事に集中したり、集中しなければならないものを切り替えることができない
  • 計画の障害: 物事を順序立てて計画したり、その計画にしたがって行動できない、失敗しても行動を変えられない(遂行機能障害)
  • 記憶障害: 物事を覚えておくことができない*4

高次脳機能障害は健常者には非常に理解しにくい症状で、普通無意識的に行われている機能が損なわれた状態です。

注意障害といっても、単に「集中力がない性格なのでは?」と思われがちですが、たとえば

  • 「『あー』と言い続けてください」というような課題ができず、すぐにやめてしまう(持続性注意障害)
  • 人と話しているとき、他の人が動いていると次々に注意が移ってしまって街中などでは会話できない(選択制注意障害)

というようなレベルであって、単に「本人が真面目にやっていないからだ」というような性格の話ではないことに注意してください。

失語

失語は、ウェルニッケ失語やブローカ失語で見てきたように、

  • 声帯や舌などの発声器官には問題がないのに話せない*5
  • 聴覚には問題がないのに相手が言ってることを理解できない
  • 発音は明瞭だが、文法がめちゃくちゃで何を言っているのかわからない
  • 文章が読めない
  • 文字が読めない*6
  • 文字が書けない
  • 復唱ができない

といった症状が見られます。
すでに見てきたように、言語中枢は脳の幅広い部分に存在しているため、損傷部位や患者によって症状は千差万別です。失語症は症状に応じて運動性失語、感覚性失語、超皮質性失語など様々な分類が知られています。

失認

失認は特に視覚失認が広く知られています。これは視覚入力には問題がないのに、大脳の視覚を処理する領野が障害されているために目で見ているものが理解できない状態です。失明とは異なり、「見えているのに、それ何かわからない」という通常の感覚ではかなり理解しづらい状態です。

たとえば、机の上にあるもの(懐中電灯やドライバーやコップや時計など)を指して「これはなんですか?」と質問しても、患者はわからないか、まったく関係のない回答*7をしてしまいます。一方で、それを手にとった瞬間に正解がわかることもあります。これは視覚野が障害されていても、体性感覚野は機能しているので、触覚から対象物を当てることができたと考えられます。また、わからなくてもかなり上手にその物体のスケッチをすることができます。だから見えてないわけではないのです。

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RubensとBensonが実験に使ったイラスト。上に書いてあるのがお手本(鍵だけは右にあるのが手本)で、下が患者が模写したイラスト。模写自体は問題なくできていることがわかる。(Rubens, 1971)

患者は、たとえば豚については「犬か他の動物かもしれない」と惜しいところまでいっていますが、鳥のイラストは「切り株」と答えています。

この場合は、視覚も体性感覚も正常で、視覚と記憶をつなげる部分に問題が起きていると思われます*8*9

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古畑が実験に使ったイラスト。上に書いてあるのがお手本で、下が患者が模写したイラスト。やはり模写自体は問題なくできていることがわかる。(Yoshihara, 1996)

こちらの例だと、患者は鍵に対しては模写の前は「女の人の顔」と答え、模写後は「ネクタイピン」と答えています。模写によって視覚以外の領野でも情報が処理され、すこし正解に近づいたのかもしれません。同様に、豚のイラストは「女の人の顔」→「牛」、カニのイラストは「お茶」→「カニ(正解)」、傘のイラストは無回答→「わからない」と回答したが、実験者が「家にあるものか?」と質問すると、「あります。こうもり(傘のこと)」と正答しています。

半側空間無視

半側空間無視(hemispatial neglect)も失認の一種で、視覚によるものが有名ですが聴覚や触覚にも影響があり、症状としては体の半分からの刺激が認識できなくなるというものです。

たとえば、右半球(右脳)の視覚野が損傷すると、左視野が見えなくなります。「見えなくなる」というと、視野が半分になって左側は真っ黒に見えると思われがちですが、実際には患者には「見えていない」事自体がわかりません(ある部分から先が真っ黒になって視界が途切れているような場合は、半側空間無視ではなく半盲と呼ぶ)。また、身体(頭)を基準にして片側半分が見えないわけではなく、注視した部分の半側が見えなくなります。
たとえば、ご飯を食べるときでも、それぞれの皿の右あるいは左半分しか食べずに食事を終えてしまいます。移動するときも壁や柱にぶつかってしまったり、傷害されてる側から話しかけれられても気づかなかったり、顔半分だけひげを剃り忘れたり(本人はきちんと剃ったと思っている)といった症状が現れます。模写課題でも、お手本にある図のそれぞれ半分しか描けません*10

分離脳

分離脳(split-brain)も非常に興味深い障害のひとつです。
大脳は2つの大脳半球(右脳と左脳)からなることは既にご存知だと思いますが、大脳半球は直接くっついているわけではなく分離しており、両者は脳梁という大量の神経線維でつながっています。ここで互いの処理内容を通信していると考えられていますが、脳梁離断術(corpus callosotomy)によってこの脳梁を部分的に切断することがあります*11

2つの大脳半球をお互い通信できなくしてしまうなんて、致命的な障害が生まれそうに思えますが、予想に反して一見なんの影響も出ていないように見えるという驚きの結果になります。

ガザニガとスペリーはこの分離脳患者を対象に様々な研究を行い、さまざまな興味深い現象を発見しました。

特によく用いられたのは、左右の視野に別々の絵を見せるというものです。分離脳患者の場合、右視野に提示された画像は左半球に、左視野に提示された画像は右半球に送られて処理されます。通常の人であれば脳梁によって左右のイメージが統合されるのですが、分離脳の場合はこれがなされません。左視野と右視野でそれぞれ別の絵を見せれば、左右の違いがわかるというわけです。

たとえば、左半球にハンマーのイラストを見せて、右半球にはノコギリのイラストを見せます。そして患者に「何が見えますか?」と聞くと、必ず「ハンマーが見えます」と答えるのです。これは言語野が左半球にあることが原因です。右半球に送られたノコギリのイラストは、視覚野で処理されたあと側頭葉に送られて「これはハンマーである」と判断されますが、言語野がある左半球にその情報を送ることができないので、言葉に出てこないのです*12

さらにおもしろい点は、「目を閉じて左手で絵を描いてください」と要求してペンを渡した時です。一見すると、意識に上っているのはノコギリではなくハンマーですから、ハンマーの絵を書くはずです。一方で、左手の制御は右半球で行われます。そのため、患者はなんとノコギリの絵を描くのです。しかも目を開けた患者は、自分がノコギリの絵を描いたことに驚きます。「何を描きましたか?」と聞くと正確に「ノコギリを描きました」と答えるものの、「なぜノコギリの絵を描いたのですか?」と質問しても、患者はただ「わからない」としか答えられないのです。

別の実験では、左半球には鶏の足のイラストを見せて、右半球には雪が積もっている小屋のイラストを見せます。
次に手元に様々なイラストが描かれたカードを置き、「左右の手でひとつずつ関係するものを選んでください」と頼みます。
すると、右手は鶏のイラストが描かれたカードを選び、左手はスコップのイラストが描かれたカードを選ぶのです。今までの話からすればここまでは納得できると思います。なぜなら、脳の右半球は雪が積もっているイラストを見ているので、左手を制御して雪かきのためのスコップを選ぼうとします。左半球は鶏の足のイラストを見ているので、右手を制御して鶏を選ぼうとするわけです(なお、ここでは本人は左半球に提示された「鶏の足」しか見えていません)。

面白いのはここからで、実験者が「別々のカードを選びましたが、なぜその2枚を選んだのですか?」と聞くと、「鶏の足は当然ニワトリのものだし、スコップは鶏の小屋掃除に使うからです」と答えるのです。もちろん真実は雪の場面を見たからスコップを取ったからですが、患者はそれがわからないので、分かる範囲の情報(「鶏の足のイラストを見た」、「鶏のカードをとった」、「スコップのカードをとった」)を使って即興でそれらしい理由を作るのです。しかもこれは、「わからないから適当な理由をでっちあげた」という意識は本人になく、本当にそう思っていることもわかっています。

我々は自分が受け取った情報をすべて把握したうえでそれを統合し、吟味して意思決定をしているように思っていますが、この実験が示唆するところは、意識に上らないが意思決定に深く関わっている情報が存在し、またそれを意識することはできない、という点です。

意識とはなんなのか、考えさせられる実験です。

*1:それ以前にも、フランツ・ヨーゼフ・ガル(Franz Joseph Gall, 1758-1828)による「骨相学」では脳の特定の能力が優れているとその部位が大きくなり、頭蓋骨の形状にあ現れるとした仮説がある。これは現代からすれば明らかに間違えているが、結果的には「脳は場所によって明確な役割分担がある」という結論はあっている

*2:さらに遡ると、最初に脳機能の局在について触れているのは、ヒポクラテス(Hippocrates, 紀元前460頃-紀元前370頃)が「頭の左に外傷があれば右半身に痙攣が起き、右に外傷があれば左半身に損傷が起きる」旨を報告している

*3:話せなくなる運動性失語・聞いても理解できなくなる感覚性失語がある

*4:新しく覚えることができない前向性健忘と、古い記憶を忘れてしまう逆行性健忘(いわゆる記憶喪失)がある

*5:声が出なくなる症状として失声症もあるが、これは心因性なので違う

*6:漢字だけ読めない、といったケースもある

*7:本当にまったく関係のない答えのときと、似ているものと間違える例(イヌに対してネコ)、上位カテゴリのものを答える例(イヌに対して動物)と答える3パターンある

*8:Rubens A, Benson D.F, Associative visual agnosia. Arch. Neurol., 24:305-316, 1971

*9:古畑博代, 視覚失認に関する認知神経心理学的検討. 広島県立保健福祉短大紀要. 2 (1) 21-29 1996

*10:とはいえ印象に残りやすいものは模写できるようだ。たとえば掛け時計の絵を書くときは、時計全体の丸いシルエット自体は描くことができ、半円になることはない。一方で数字は12〜6くらいまでしか描けない

*11:滅多にないが、てんかんの治療として稀に行われることがある

*12:ただ、分離脳の患者が誰でもこのタスクをこなせるわけではないらしい。一部の患者は左右どちらの半球でも見たものの認識が可能になることがあり、その場合にのみこのような実験が成立する